おにぎり本丸ちくわぶ本舗

今日のおいのり血反吐付き

10/13

ああ、

好きな人が

必要なくなるまで、

努力するよ

 

機関リポジトリの使い方がわかったから、

毎週最低1論文を目標に読んでいこう

阪大生に負けないくらいの

熱量をもって、うちかってやんなきゃ

ああ、悔しい、悔しい

そうしようと、思うのが

いつも遅すぎて、負けてる

かっ潰してやる

私は、求められる側にならないと

ひとに教わる側じゃなく

ひとに教える側までたどり着かないと

向いてないから

 

何さにを読んだって、

何まほを読んだって、

何唯を読んだって、

結局は、主人公が

相手にとって、輝いてるから

相手も、尽くす

伝わらないものだから

伝えられるものになることで

その努力をもって

相手への愛にしよう

 

恋なんか、するだけ損だ、

くそ

でも、ひとを好きになるから

生きていけるんだ

どこに行けばいいのかを

見つけられる

でも、その先で

私が逆転して、

自分が恋をされる側に

私の努力が、

私のためにあるように

そうなってもいいんだ

 

ひとに勝つなら、正当な努力で

強く、正しく、美しく

 

ああ、私が

こいつ、頭悪いな

言葉、じょうずに使える?

とか、思わなくて

面白い話をたくさん引き出せる

このひとの言うことは、よいことだ

と思えるひとと出会って

 

普段は、

話し方で、ひとを見切っているから

私ごときが、舐めプしなくてもいい

高みに行こう

好きだった人も、眼中にないくらいの

おやすみ、さよなら

そして起きたら、また同じように

恋を思い出してね

 

おはよう

最近は、

英語に英語字幕でネトフリ観てて

それでも

ある程度、内容がわかるようになった

単語のちから?文法のちから?

ただ

観るときに、

まるで自分が日本語字幕をつけるように

翻訳を目指すのではなく

その時、その表情で

そういう言葉を使うんだ

という

イメージをつなげていくように

観ていると、続けやすい

今は、

ウェンズデーと、

ヤング・シェルドン

が面白い

 

定期的に、

これは恋ではないと

そもそも

いらないんじゃないかと

赤いイヤホンによれば

『男なんかのわがままに

女はもう縛られない』

世の中には

黙って浮気する男も

LINEを無視し続ける男も

これ以降は絶交だと言いながら

私のインスタを定期的に見に来る男も

ふつうにいる、

多分たくさんいる

それが私の手落ちという見方もある

愛のかたちも、きっとさまざま

ほんとうにやさしい男もいた

散々あとに引きずる言葉を言われたけど

ひとの気持ちがわからないの?と

だから、努力はやめない

わかるものではない、ひとの気持ちを

幼稚園児から何年も

顔をうかがってきたけれど

足りない、本を読み続けている

本を読んで、共感力がついて

コミュ力が上がるというのは、大嘘

わかるという思い込みの方が強くなる

 

多分、疲れているし

荒んでもいる

音楽ばかり聴いているから、

音楽が私に言葉をくれる

だから、今のように

朝っぱらから『赤いイヤホン』

を聴くような

夢を捨てた日もあるだろうけど

『ロマンスに目覚める妄想女子の歌』

を聴く日だってあるし、

『同じ空の下で』

を胸に抱く日だってある

みな、一様ではない

 

伝えられてもいないことを

わからなければひとでなしのような

赤いイヤホンも

サビのおしまいには

『だけどどっかで夢見てる

心を繋ぐ見えない赤い糸』

 

歌にインタールードがあるのは

どのような強い言葉にも

行き着くまでの情緒があることを表してる

できることなら

『もしも…』

のイントロのような、朝焼けを

 

勉強したいときは

インヴェンションをかける

いろんな欠片を集めて

ひとつひとつ、一歩一歩練習して

工夫を凝らす楽しみを教えてくれる

どうしても頑張れないときは

『Study Equal Magic!』

の、MVを観るのがいい

これ以上にモチベ上がる

トンチキな歌詞と振付は、存在しない

 

夢見る15歳』を聴いている

すこし、元気も戻ってきたかな

ごくわずかだけど

しばらくは、無理しない

 

若松英輔の『イエス伝』を読むにつれ

ああやはり、私を導くのは

お祈りだ、キリストだと思いながらも

狂信に至らぬように、

このようなときに、

フラニーとズーイ』が効くんじゃなかろうか

いよいよ、

スタディバイブルの購入が

現実的になってきた

 

本を読む手がかりとして、

本を汚すこと

書き込みをすること

本を道具としてではなく、

友達とのかかわりのように

足跡をのこしておくならば、

それは、いいことなんじゃないかな

 

自己を弁解するようだけど

ノートによれば

「ひとに敬意を払うなんて難しすぎるよ

ああ 人を尊敬できないということは

自分がそれだけ心を砕いてきたのであって

そして理解されないのが辛いのであって

それで 人を自分の上とは思わないまでも

足蹴にしたりはしないのだ

そういう人間なのだ」

自己中心的であることと

人を考えることは、

同居できるのではないか

と思ったけれど、

自分はひとのことを考えている

という前提自体が

ひとりよがりであったり、

もちろん、

自己中心的であることが

悪とも限らない

それは、ひとの

生き抜くちからとして認められうるから

人は、不思議だし

一概ではない

やさしさを、考えて

持ちながらいこう

 

今日のまとめ

尊敬が、恋を生むけれど

尊敬すれば、負けたくなくなる

悔しさと、愛の両立は、難しい