おにぎり本丸ちくわぶ本舗

今日のおいのり血反吐付き

10/25

13:00

私の頭にアイデアが降ってくるとき、

どうしてか、「おしえ」のかたちである

ついさっきは、「文法は道具」という話

 

例えばね、プリンって言ってみるよ

プリン。通じるね。

単語でも、話せることは話せる。

じゃあつぎは、

あなた、私のプリンを食べたでしょう。

と伝えてみることにしよう。

プリン。

話しかけた人が、プリンを食べた犯人なら

思うところがあって、理解してくれるかも。

でも、なんにも知らない人には、

プリン。では

それがどうした、ってなるよね。

というわけで、私たちは

「プリンを誰かに食べられていたから、怒っている。」

と、ひとつの単語だけではなく、いくつかの言葉を組み合わせて、文章にして伝えようとする。

そのとき、この組み合わせ方をすれば

それを知っている人には、

言いたいことがきちんと伝わるよ、っていう

ルール、もとい道具が文法なんだよ。

ぎゃくに、こちらもルールを知っていれば、

向こうが、ルールに沿って動いているとき

なにをなんのためにしているのか、わかるね。

サッカーでも、ルールを知らなければ

どうしてそんな動きをするの?って

謎に思うだろうけど、

知っていれば、守るため、ボールを取るため

ってわかるわけだ。

つまり、言いたいことがわかるわけだ。

だから、英語塾に来て、

話す練習をしようってときに、ほんとうは、

文法を今すぐ覚えなくともいいけれど、

いつか君が、英語のルールのなかで

人に伝えたいことがあるとき

しっかり伝えられるように、って

練習しているんだよ。

 

というかたち(↑原文)で、アイデアがわく。

これは、私よりもちいさい

生徒のような人々を

「おしえさとす」ためのことばだけど、

自分のなかでも、

自分を「おしえさとす」姉のような自分がいて、

それがいてくれるから、私は

ゆっくりものを考えていられるようになった

 

上記の話についても、

「言語の文法を含むあらゆるルールはその範疇内で活動する場合に相互間の意志疎通を円滑にするものである」

でいけるんだけどもね。

 

実際は、あのような文章だけではなくて、

相手の反応、うなずき、

話し方、ジェスチャー等々の

そういう「会話」としてアイデアは降る

ひとに、私との会話を

「体験」として記憶に残してもらおうとする

そのあらわれじゃないかな、とも思う